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18件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2021-06-09 第204回国会 参議院 憲法審査会 第5号

先週、事務局経緯を聞いて驚いたんでありますが、昭和四十年代、河野謙三議長時代でありますが、何と党議拘束の緩和について議論がなされていたというわけであります。  私の記憶では、その後、党議拘束が壊れちゃったり、あるいは外したりしたことが二つありますね。一つは、昭和五十年代、四十日抗争というのがありまして、自民党から何と二人の首班指名が争われたという事件でありました。

渡辺喜美

2017-01-25 第193回国会 参議院 本会議 第3号

国権の最高機関、唯一の立法機関の一翼を担う我々参議院は、昭和四十六年に河野謙三議長による参議院問題懇談会設置されて以来、二院制における参議院の在り方、独自の使命などについて、常に議論を続けてまいりました。  山崎正昭議長の下では選挙制度協議会設置をされ、私も協議会のメンバーの一人として、各会派と議論を重ねてまいりました。

岡田直樹

2004-04-14 第159回国会 参議院 憲法調査会二院制と参議院の在り方に関する小委員会 第2号

それが河野謙三議長の様々な改革に表れています。例えば、正副議長党籍離脱であるとか、もう少し党議拘束を緩和しようであるとか、それからそのほかの、全国区から比例代表制の導入もやはり、これは参議院の方が早くやって、衆議院が後まねしたわけですけれども、今は同じシステムだからこれは変えるべきだと言われても、なかなか参議院の方も困るんじゃないかなというふうに思います。

蒲島郁夫

2004-04-14 第159回国会 参議院 憲法調査会二院制と参議院の在り方に関する小委員会 第2号

まず、党議拘束ですけれども、これは河野謙三議長が、独自性を保つために、確保するために、党議拘束を緩和しようというアプローチをしたわけですね。そうすると、やはりそこには党議拘束が要らないほどのクラブとしての参議院カルチャーみたいな、文化みたいなものが必要になってくるのかなと。それが十分アメリカの上院ほどできるかどうかということに掛かっているような気がします。

蒲島郁夫

2002-02-20 第154回国会 参議院 憲法調査会公聴会 第1号

先ほど御指摘もありましたように、一九七一年の河野謙三議長の下でそういう方向が打ち出され、また参議院自身努力されてきたかと思います。  ただ、ここで理論的に考えるべきは、参議院においても基本的には政党政治政党母体にした選挙ということは基本になるし、それにどう無所属が参加できるようにするかということが重要なんですが、そうであるとすれば、政党母体にして党議拘束というのはどういう意味を持つかと。

隅野隆徳

2000-10-12 第150回国会 参議院 選挙制度に関する特別委員会 第5号

私は、参議院の過去の審議において河野謙三議長が非常にはたから見ていて尊敬に値する議長としての役割を果たされたという、そういう記憶を持っております。それは与党政府法案のいわゆる議事運営、これは数で押し切れば押し切れるというふうな場合、野党の議員がいろいろそれに抵抗をするというふうな場合には……

清水睦

2000-03-02 第147回国会 参議院 予算委員会 第3号

だから、そういうものを何とか変えようということで、三十年前ですか、河野謙三議長参議院改革の三原則ということを言っておられます。  一つは、正副議長党籍離脱ということであります。これは今実行されておるわけですけれども、若干この前はやっぱり与党側の圧力がちょっとかかったのかなという感じがするわけでありますけれども。二番目が、参議院から大臣、政務次官を出さない。

松岡滿壽男

1995-03-17 第132回国会 参議院 法務委員会 第7号

ですから、当時の活躍された河野謙三議長も亡くなり、前尾議長も亡くなり、一番の当事者の田中先生も亡くなり、かかわった人というのはやっぱりこの裁判の最終行方については、それぞれの思いというものがそれぞれの立場であると思います。また、日本の司法制度そのもの司法行政そのものの根幹にもかかわる問題であったと思います。  

平野貞夫

1992-03-03 第123回国会 衆議院 予算委員会 第10号

○和田(静)委員 この法律だって参議院の段階では御存じのとおり賛否同数だったわけで、時の河野謙三議長の一票で決まった法律ですから、大変欠陥を持っているし、我々はもともと批判的なことをずっと述べてきていたわけでありますが、いわゆる量的に規制するというのが規制の仕方として本質的じゃないということをあのときもずっと述べさせてもらいましたけれども。

和田静夫

1991-03-13 第120回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第5号

、それが議員同士の間で審議をされた形において参議院のいろいろの意見参議院議員の間にあるいろいろの多様な意見というものが表現され、かつ集約されていくべきである、そうすると、それによって衆議院の方の意見というものと違った特色のある意見というものが参議院にも期待できるのではないか、そういうところから参議院の場合にも一層議員同士の自由な討議というものを重視すべきではないか、こういう考え方は、御案内の河野謙三議長

佐藤功

1990-05-30 第118回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第4号

そして、当時の河野謙三議長の採決で辛くも成立するという劇的な経過をたどってきたものですね。  今度の答申は、このような企業献金を何とかして個人献金に切りかえたいとする先人たち努力に水を差したのではないか。私は非常に悲しむと同時に、おかしいのではないかと思っているわけです。この点について奥田大臣の御所見を承りたいと思います。

池田元久

1989-06-08 第114回国会 参議院 本会議 第13号

昭和四十六年の河野謙三議長以来、歴代議長参議院改革に熱心に取り組まれ、数々の実績を上げておられます。その代表的なものを私なりに三つ挙げれば、その一つは常会の一月召集であり、その二は総予算の各省庁別委嘱審査であり、その三は外交・総合安全保障国民生活、産業・資源エネルギーの三調査会設置であります。  

原文兵衛

1986-04-02 第104回国会 参議院 地方行政委員会 第5号

しかし結果的に可否同数で、河野謙三議長の可とするということで成立したいわくつき法案ですね。ですから、かなり反対があったことは間違いない。反対がなければ可否同数になるはずないんだからね。にもかかわらず、内閣としての責務、決意、こういうことからあの法案をまとめたと思うんですよ、経緯を見ればおわかりのように。

佐藤三吾

1975-07-03 第75回国会 参議院 本会議 第21号

ここ一両日の事態は、中西委員長の運営上の不当性がそのきわみに達したこと、河野謙三議長不当介入により正常な委員会運営が妨害されたこと、さらに福田自治大臣委員会軽視が頂点に達したことにより、河野議長福田自治大臣、さらに前田副議長不信任決議が提案され、委員会審議の前提が欠如したにもかかわらず審議を強行しようとしたことによって生じたものであります。

立木洋

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